2026年10月下旬。
ここ数年続いていた鬱状態から、ようやく少しずつ夜明けの気配が見え始めた頃の話だ。
私は30年以上にわたって、昼夜逆転の生活を続けている。
その日も11時頃に目を覚ますと、家にいた長女と次男(小学2年生・8歳)がちょうどお腹を空かせていた。長男は妻と一緒に野球へ行っている。そこで久しぶりに、私と長女・次男の3人で外食へ出かけることにした。
2人に何を食べたいか聞くと、「パスタ! だからガストに行きたい!」という。
正直な本音を言えば、40代の胃袋にはパスタよりも定食がいい。油っこいものを食べると胸焼けしてしまうのは年齢のサガだろう。しかも、私の中のガストは「直近5回のうち3回、定食のレンチンが足りず冷や飯を食わされた店」という散々な印象しかなかった。
それでも、子どもたちの希望は叶えてやりたい。
腹を括って向かったガストだったが、その日の昼食は拍子抜けするほど美味しく、3人で楽しい時間を過ごすことができた。子どもたちにも、現場で食事を作ってくれたスタッフさんたちにも感謝しかない。
さて、ここからが本題だ。
「早く家に帰りたい」の裏にある、8歳の孤独と葛藤
食事を終えたあと、私は2人にこう切り出した。
「ねぇ、帰りに近くの本屋さんに寄っていこうよ。特に目的があるわけじゃないけど、ぶらぶら見て回るのもいいじゃない?」
そう誘ったのには、心の中でずっと引っかかっていた理由があった。ここ数年、私自身が鬱状態に近い日々を過ごし、別室にこもりがちだったせいで、次男にはずっと寂しい思いをさせてきたからだ。
ところが、「本屋さん」と聞いた瞬間の次男の反応は鈍かった。
「えぇ……早く家に帰りたいーーー」
彼が早く帰りたがる理由は、痛いほどわかる。
私まともに構ってやれなかった数年間、彼は家でゲームをするか、YouTubeを見るか、外でなんとなく時間を潰すかして過ごしてきた。「どうせパパと一緒にいても楽しくない」という経験が積み重なっているから、早く家に帰って、自分が安心できるいつものルーティン(ゲームやYouTube)に戻りたいのだ。
彼はなにも悪くない。
私自身の状態がそうさせてしまっただけだ。
ただ、少年期へと差し掛かる小学2年生(8歳)という時期は、このまま放置すれば心の傷として残りかねない分岐点でもある。
子育ての大部分を下支えしてくれているのは間違いなく妻の力だが、「家族への絶対的な信頼」という土台には、父親の立ち振る舞いが大きく影響する。どう関わるべきか、私自身ずっと模案し続けていた。
本屋の片隅でもがく次男と、動物園の「550円のガンプラ」の記憶
本屋に着くと、次男はいつものように知育玩具「LaQ(ラキュー)」の体験コーナーへ直行し、感覚的にパーツを繋ぎ始めた。
長女はというと、文具好きで自分のやりたい方向性がある程度固まりつつあり、自分の世界で黙々と棚を見ている(もちろん彼女とも、近くゆっくり話を聞く時間を取りたいと思っている)。
ラキューをいじる次男の背中を眺めながら、私はふと感じた。
「こいつ、今自分の中でもがいているのかもしれないな」と。
普段、私は別室で過ごしながらも、家の中の音や気配は常に耳に入ってくる。
最近の次男は夜ぐっすり眠れず、まるで更年期を迎えた老人のように、夜中にうなされて目を覚ますことが増えていた。8歳なりに、心の中で何かしらの変化や葛藤と戦っている最中なのだ。次男はもともと手先が器用で、周囲への細かな配慮ができる繊細な気遣い屋だ。芸術肌で、ゼロから何かを創り出すクリエイティブな気質を持っている。
そのあたりは、私自身の気質ともよく似ている。
だからこそ、その感性が空回りせず、「自分の頭で考えて形にするきっかけ」さえ掴めれば、彼の中で何かがカチッと繋がるのではないか――そう考えていた。
私は次男と並んで、店内の棚を5分ほどぶらぶらと歩いて回った。
「学校は最近どうだ?」
「なんか楽しいこととか、チャレンジしてみたいことは出てきたか?」
「最後に決断するのはお前の人生なんだから、自分で決めることが何より大切だぞ」
そんな言葉を投げかけながら、彼の自信に繋がりそうな「種」を探していた時、ふと目に飛び込んできたものがあった。
『ガンプラ(ガンダムのプラモデル)簡易版・660円』
その箱を見た瞬間、私自身の古い記憶がフラッシュバックした。
あれは小学校1〜2年生、いや幼稚園の頃だったかもしれない。両親の不仲で家庭が荒れ狂い、母が苦しんでいた最中、祖母が私を連れ出してくれた動物園。
その売店で祖母が買ってくれたのが、当時550円くらいのガンプラだった。
「660円の簡易版」とはいえ、プラモデルを作ったことがない8歳児にとっては、一筋縄ではいかない工程が含まれている。クリエイター気質を持ちながらきっかけを掴めずにいる今の彼には、最高の実験台になるかもしれない。
私は次男に声をかけた。
「ねぇ、これ知ってるか? ガンプラ」
「え? ガンダムでしょう? YouTubeで見たことあるよ」
「これさ、ちょうどお前くらいの年の時に、俺も初めて作ったことがあるんだよ」
「へぇー、そうなの」
「ああ。意外と難しくて、一人で組み立てるのは大変なんだけどさ。『どういう仕組みになってるのか』とか『どうすれば最後までやり遂げられるか』とか、自分の頭と手を使う楽しさがあって、すごく良い経験だったんだ」
「へぇー、そうなんだぁ」
そこで私は、一番大事な一線を引いた。
「ただな、パパにとって良い経験だったからといって、お前に当てはまるわけじゃない。楽しい時間になるかどうかは自分次第だ。試しに1個買ってみるのはアリだと思うけど、やるかどうかの最後の決断は、お前が自分で決めるんだよ」
棚に並んだ他のガンプラとも見比べたあと、次男は自分の口ではっきりと言った。
「これ、やってみる!」
ほぉ、そうきたか。しめしめなどとは微塵も思わない。むしろ、ここからは甘やかさず、一人の人間として厳しい声掛けも必要になると腹を決めた。
レジへ向かう際も、私が買って与えるのではなく、お金と箱を次男に渡して自分で支払わせた。
少し戸惑うとすぐにこちらを見て助けを求める弱気さはあったものの、最後に店員さんから受け取った袋を「最後までやりきるように、楽しめるといいな。どうぞ」と手渡すと、彼は「ありがとうございます……」と深々と頭を下げた。
「A〜Eの紙」という最小限のパスと、ショート動画の副作用
家に帰ると、次男は「俺はさっそくガンプラを作るんだ!」と意気揚々と箱を開けた。しかし、人生初のプラモデルの説明書である。
最初からスムーズに読めるはずがない。
「えーっと、説明書には『Aの⑥』って書いてあるから……Aはどこだ? これかな?」
そう言いながら、彼はまったく違う「C」のランナー(パーツ枠)を眺めている。観察してみると、8歳の彼は「⑥」という数字は読めても、プラスチック枠に小さく刻印された「A〜E」というアルファベットの形がまだ直感的に結びついていなかった。
そこで私は、答えそのものを教えるのではなく、白い紙に説明書のフォントそっくりの大きな「A」「B」「C」の文字を書き出し、それぞれのプラスチック枠の上に添えて置いた。アルファベットの形さえ一致すれば、あとは自分の目で番号を探し出せる。もちろん間違えることもあるだろうが、死ぬわけじゃない。
その失敗も含めての660円だ。
説明書の基本的な見方だけを軽く伝えると、次男は「ん、分かった。やってみる」と頷いて作業を始めた。ところが数分後、ここ数年の「ゲーム・YouTube漬け」の副作用が顔を出した。
よく「YouTubeのショート動画ばかり見ていると、結論を急ぎ、1つのことに集中できない注意散漫な状態になりやすい」と言われるが、まさにその通りの現象が起きたのだ。
パーツが少し切りづらい、一発ではまらない――そんな小さな壁にぶつかるたび、自分で工夫する前に、コンマ数秒で助け(正解)を求めてくる。
「ねぇ、これ切れない……手伝って」
「ねぇ、 ここがはまらない。どうしたらいいの?」
私は昔から一人で抱え込んで努力しすぎるあまり、人に助けを求めるのが下手な人間だ。
だから「これだから今どきの子どもは!」などと説教するつもりは毛頭ない。むしろ、ここ数年彼に寂しい思いをさせ、動画やゲームに逃避させてしまっていた私自身の副作用でもある。
だからこそ、感情的に怒るのではなく、静かにこう伝えた。
「確かにゲームやYouTubeばかり見ていると、自分の頭で考える力や、最後まで作り上げる力はつかないんだわ。兄ちゃんはそれを最後までやり抜いたことがあって、そこは素直にすごいと思った。
でもな、お前を兄ちゃんと比較するつもりは一切ない。ただ、今のお前は『自分でいろいろ試して、工夫しまくって、それでもどうしてもできない!』っていう状態じゃないだろ?
本当は最後までやり遂げる力を持っているお前に、安易に手を出して答えを教えるのは、パパはやりたくない。頼まれれば手伝うけど、『最後まで頑張る』って決めて買ったのはお前だよね?
怒っているわけじゃないよ。お前の人生なんだから、決めたらまずは自分でやってみる。本当にどうしようもなくなったら、いつでも力になるから言ってくれ」
そう伝えると、次男は少しふてくされたようにテーブルから離れ、私に背を向けてシュンと黙り込んでしまった。
10分間の沈黙と逆さまの腕がついたガンダム
私は手を出さず、そのまま黙って10分間待った。
そして、丸まった彼の背中に向かって、もう一度だけ声をかけた。
「最後までやってみる。おもちゃといえども、自分の力で最後までやり抜くっていうのは、プラモデルだけじゃなくて、これから先いろんなものを得られるきっかけになるかもね。
やるかどうか、最後に決めるのはお前だよ。それは変わらない。だけど、お前は本来できる人間だし、チャレンジしたらすごい人間だと思っているから、こうして言っているんだわ」
すると、次男がゆっくりと向き直り、短く言った。
「分かった。やってみる」
そこからの集中力は凄まじかった。大人が作れば30分程度で終わる簡易ガンプラに、彼は約1時間半もの間、必死に手を動かし続けたのだ。
レゴやラキューのようなブロック玩具は、マニュアル通りに積めばある程度の形になる。しかしガンプラは「人型」であるがゆえに、パーツの向きや関節の角度、全体のバランス感覚といった美意識が求められる。
途中、どうしても8歳の手先では難しい箇所(極小のシール貼りや、立体的な図面の重なり)だけは、彼自身から質問してきた。
その質問が「ここが分かんない」と曖昧な時は、すぐには手を出さず、「どこのパーツとどこのパーツがどう分からないのか?」と質問を返し、自分の言葉で課題を具体化させるようにサポートした。
約1時間半後。
ついに1体のガンダムが完成した。
よく見ると、手の左右が逆ついていたり、腕が逆さまになっていたり、足が妙な方向を向いていたりする。それでも、それは紛れもなく、彼が自分の頭で悩み、ふてくされながらも再び机に向かい、自分の指先で最後まで組み上げたガンダムだった。
完成した機体を見つめる次男の表情には、ここしばらく見たことがなかった明るさが戻り、確かな自信が宿っていた。
統合:660円の箱が教えてくれた「父親としての自立支援」
たった660円のプラモデル。人生の中のわずか数時間の出来事。
けれどその凝縮された時間の中には、大金を払う塾や習い事以上に生々しい「生きる技術の原型」が詰まっていた。
- 自分の意思で決め、最後までやり遂げる気持ちよさ
- 壁にぶつかった時、思考停止して丸投げするのではなく「どこが分からないか」を具体化して助けを求める技術
- 諦めて投げ出しそうになった時、自分の心をどう立て直すか
かつて私は介護の現場で、「本当の優しさ(自立支援)とは、すべてを手伝ってラクをさせることではなく、本人の力を信じて待ち、どうしても足りない部分だけをサポートすることだ」と学んだ。
それは父親としてもまったく同じかもしれない。
これまで寂しい思いをさせてきたことへの申し訳なさはある。けれど、彼がダメなわけでも、不完全な父親である自分を過剰に否定する必要もない。この日、次男と向き合ったことで、私なりの「父親としての距離感(型)」がようやく腑に落ちた気がする。
- 方向性を親が決めない(きっかけの種だけ見せ、やるかどうかは本人に決断させる)
- 道に迷わないための「最小限の環境」だけ整える(答えは教えず、A〜Eの目印の紙だけ添える)
- 丸投げの甘えには応じず、質問を返して「何が分からないか」を自分で考えさせる
- 諦めそうになった時は無理強いせず、「お前ならできる人間だと信じている」と伝えて待つ
- 本当に一人では不可能な微細作業だけ、最後にそっと手を貸す
できない部分だけを最小限サポートし、あとは本人がコツを掴むまでじっと待つ。きっかけさえ掴めば、子どもは驚くほどのスピードで勝手に動き始める。
660円のガンプラを通じて、私自身が一番大切な気づきをもらった1日だった。不器用な父親にそんな学びを与えてくれた子どもたちに、心から感謝したい。