人は、考えた通りにしか生きられない。
・思考が整えば、文章が整う。
・文章が整えば、言葉が整う。
・言葉が整えば、行動が整う。
そして行動が整えば、未来は確実に変わっていく。
この当たり前のことを、わたしは副業時代から専業(個人事業主)への挑戦の中で、痛いほど学んできた。中古ブランド品の転売で大赤字を出した夜、わたしは愕然とした。
数字だけを追い、仕入れも販売戦略も雑になり、稼ぐことの本質を完全に見失っていたからだ。やっと利益が出たと思えば、消費税、所得税、住民税、社会保険料が容赦なく差し引かれ、手元には思った以上に残らない現実があった。
「1000万円の利益が出ても、手元に残るのは実質400万円程度」――
それが日本の税制と社会の仕組みだ。
この現実に直面して初めて、わたしは気づいた。
「政治や社会情勢を理解しなければ、いくら必死に働いても豊かさは築けない」と。
副業時代が教えてくれた「努力と現実」のギャップ
副業の失敗は、わたしに大きな問いを突きつけた。「どうすれば、自分の人生を他人のルールではなく、自分のルールで切り開けるのか?」その答えを探すため、わたしは考えることをやめなかった。
そして気づいたのは、「正解は誰かから与えられるものではなく、考え抜くことでしか見つからない」ということだったのだ。
幼少期に刻まれた “生きる意味” という問い
子どもの頃、北海道函館市の小さな町で暮らしていた。
4歳で補助輪なしの自転車に乗れるようになり、後輪がスライドする感覚に夢中だった。舗装の荒れた坂道を駆け下りては転び、膝をすりむいても笑っていた。
空はどこまでも高く、風は冷たく、
世界は今よりずっと優しかった気がする。
あの頃、両親はまだ夫婦だった。
記憶とは、出来事そのものよりも、風の匂い、肌に触れた温度、耳に残る音が鮮烈に残るものだ。わたしの幼少期は、そうした感覚の断片が積み重なった風景のようなものだった。
その後、札幌へ移り住み
父親の独立失敗を機に両親は離婚。
小学校2年生のころの出来事であった。
そんな中、
わたしの心の奥底で芽生えた問いがある。
――人はなんのために生きるのか。生き続ける意味ってなんだ?
幼い頃には重すぎる問いだったかもしれない。
けれど、その問いは今もなお、わたしの中に根を張り、人生の指針のように揺らがずに存在している。
介護現場で見つめた命、そして副業で学んだ「考える力」
介護職の現場で命と向き合う日々を経て、わたしは副業に挑んだ。夜勤明けに仕入れに行き、帰宅後に試行錯誤を繰り返す日々――。
その中で、「自分の頭で考え、改善し続ける力」の価値を身をもって知った。そして2016年、介護現場を離れ独立。
情報発信やコンサル業を始めると、多くの人が「正解」を求めている現実に直面した。
――「どうすれば成功できますか?」
――「何が一番効率的ですか?」
そのたびに思う。
正解はない。あるのは、考え抜く力と行動の積み重ねだけだ。
なぜなら…
思考が整えば、文章が整う。
文章が整えば、言葉が整う。
言葉が整えば、行動が整う。
人の行動は、頭の中で描かれた思考の質によって決まるし、考えを磨けば、言葉が研ぎ澄まされ、言葉が変われば行動の方向性が変わる。そして行動が変われば、人生の結果そのものが変わる。
このシンプルな真実に気づいたとき、わたしは確信した。
人に提供できる最大の価値とは、“正解”ではなく、考える力を育むことなのだと。
Madonna villageが届ける、考えるための羅針盤
Madonna village編集部という名のもとで、わたしは「考えること」「問いを持つこと」の大切さを伝えたい。情報があふれる時代だからこそ、思考を整え、言葉を整え、その結果として行動が整うことが何よりも重要だ。
Madonna villageを通じて、
わたしが提供したいのは、正解ではなく
“自分で考え行動できるようになるきっかけ”
である。
答えを一つに絞る時代は終わった。
これからは、自分の感性と知恵で世界を切り開く時代。
だからこそ、Madonna villageが、あなた自身の軸を見つける小さな羅針盤となれば――そう願っている。